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2023年1月8日礼拝説教

2023年1月8日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ルカの福音書13章10節~21節 「小さな種」


1. 神の国の特質

ここでイエスは「神の国」について語られました。それは「神の国の特質」についてです。二つのたとえが出てきます。からし種とパン種のたとえです。ここで注目すべきことがあります。それは、小さなものが大きくなり、周囲に広がるという点です。それでは、この小さいものとは何でしょうか。そのことをご一緒に考えていきましょう。


2. 一人の女性

「そこで」とは、このたとえの前に登場する一人の女性に起こった出来事を指しています。つまり、この女性こそ「からし種、パン種である」とイエスは言っているのです。この女性は取るに足りない者の代表者です。罪人とみなされ、自分自身でも、取るに足りない存在であることを自覚していた人です。この女性は、救われるには遅い人だと考えられていました。しかし、神の視点はまったく異なっていることを、イエスは教えています。イエスは、シナゴーグに集まった人々の中で、真っ先にこの女性を呼び寄せ、高らかに「あなたは病から解放されました」と宣言されました。18年という長さは、痛みと苦しみの歴史です。この人だけが知る痛みがあったことでしょう。しかし、イエスは彼女を見て、そばに来るように呼び寄せました。そしてこの女性に手を置きました。イエスが、私たちのところに来られたのは、「このため」です。一人の罪人に声をかけ、手を置き、救いを宣言するために来られたのです。


3. 神の国のはじまり

この女性は癒されました。しかし、ここでこの話は終わっていません。会堂司がイエスを批判しました。彼の非難の矛先はイエスではなく、この女性に向けられています。ここに彼の偽善があります。イエスはその批判を退けられました。神のみ思いは、痛みを知る人、自らの罪を認める人、そして神の前にへりくだる人を救うことにあります。それは、私たちの中に潜む差別、区別の構造を暴くことにもなります。イエスは罪人とみなされた一人の女性に、真っ先に目を留められました。そして、その人を通して、神のみわざがあらわされ、そして神の栄光があらわされました。「からし種」とたとえられたのは、この女性です。取るに足りないものから神の支配が、神の栄光があらわされるのです。神の国は誰の目にも見えないぐらいの小さなものからはじまるのです。

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