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2023年2月26日礼拝説教

2023年2月26日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙5章11節~14節 「義の教え」


1. みことばの初歩

この手紙の読者は、イエスを信じてから数年たっていました。年数からすれば教師となっていなければならないとあります。イエスが救い主であること、また預言者であり、王であり、祭司であることを知っているならば、その人は信仰的に大人になっているはずだと言うのです。大人ではないというのは、イエスにある新しい歩みを始めたのに、いつまでも古い律法理解から離れられず、また民族主義に捕らわれ、神のご計画を理解せずに歩んでいる、そのような姿です。そのような人々は、みことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるというのです。みことばの初歩、それはイエスによって罪赦され、神の子とされ、神の国の到来の希望に生きるということです。「福音」として聞いていることを指しているのでしょう。そのような乳を飲んでいる人は、「義の教え」に通じていない幼子なのです。


2. 義の教え

「義の教え」とは何でしょうか。またそれは「善と悪を見分ける感覚」とも関連しているようです。「メルキゼデク」には「義の王」という意味があります。イエスは新しい「義の王」です。以前は律法を戒律として守ることにこそ神の義があると考えられていました。しかし、主イエスの新しい義の教えはそうではありません。マタイ5章にある山上の説教に見られるように、イエスに赦され、そして新しいいのちを得た者の在り方、生き方こそ、義に通じる道なのです。


3. 経験による訓練

「善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練される」とあります。それは何が神のみこころなのか、何が神の喜ばれることなのか、そのことをさまざまな経験を通して身につけるということです。この手紙が勧めているのは、新しい義の教えであり、主イエスにある基準に立とうではないか、ということです。堅い食べ物とは難しい内容のことを指しているのではありません。それはキリストの教えそのものです。そしてこれは戒律を学び従うものではなく、経験によって訓練される必要があるものです。私たちもイエスの教えに聞き、学び、そして従い、訓練されてまいりましょう。

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