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2025年6月29日礼拝説教

  • mbchurch
  • 5 日前
  • 読了時間: 2分

2025年6月29日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書15章21節~28節「境界線を超える神の国」

 

1. イエスの沈黙

この出来事は、当時の背景への理解が不可欠です。イエスの前でカナン人の女性が娘の癒しを求め叫び続けました。当時のイスラエルではカナン人は差別されており、イエスが一言も答えなかったのは自然な振る舞いでした。しかし、弟子たちはイエスが彼女を追い払わないことに違和感を覚え、「あの女を去らせてください」と願いました。イエスは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません」と答えられました。ここには、神が「秩序」を重んじ、まずイスラエルを選び、その後異邦人へと向かう神の計画が示唆されています。

 

2. 小犬のたとえ

イエスはカナン人の女性を追い払わず、対話を始められました。女性はイエスを「ダビデの子よ」と呼び、異邦人である自分を憐れみ、「お助けください」と切実に願いました。イエスは「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないこと」と答えられます。彼女の置かれた境遇を深く理解した上で、あえてこの表現を用いられたのです。この対話を通して、女性はイエスが自分の言葉を聞き、受け止められていることを確信し、「主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と返答しました。

 

3. 境界線を越える神の国の到来と私たちの信仰

女性の返答に対し、イエスは「あなたの信仰は立派です」と答えられ、彼女の娘は癒やされました。この出来事は、神の国の到来が、当時の社会の常識や偏見という「境界線」を超えて広がり始めた証しです。キリストの御業には、境界線を軽々と越えていく側面があります。神の子なるイエスが人となられたその姿にこそ、あらゆる境界線を超えていく神の愛が顕されています。そして、この姿は私たちも倣うべきものです。私たちは、「正しさ」や「常識」という枠の中に留まり、神の国が「この人には関係がない」と思ってはいないでしょうか。私たちも、主イエスとともに、神の国の拡がりを覚えて歩んでいきましょう。

 
 
 

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