2026年8月2日礼拝説教
- 8月2日
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2026年8月2日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書 27章11節~26節「わたしもそこにいた」
1.二人のイエス
ここには、二人のイエスが登場します。一人は、力によって道を切り開こうとしたバラバ・イエス。もう一人は、剣を取らず、自らのいのちを差し出そうとしているナザレのイエスです。ピラトは、ナザレのイエスに罪を見いだせないまま、どちらを釈放するかを群衆に選ばせました。群衆が選んだのは、自分たちの願いを実現してくれそうなバラバでした。そして、黙って立つイエスに対しては、「十字架につけろ」と叫んだのです。
2.正義よりも秩序
ピラトは、「あの人がどんな悪いことをしたのか」と尋ねました。しかし群衆はその問いには答えず、ますます激しく叫び続けました。ピラトの妻は、イエスを「あの正しい人」と呼びましたが、その声は群衆の叫びの中でかき消されました。ピラトには正しい判決を下す責任がありましたが、彼が守ろうとしたのは、罪のない一人の人ではなく、ローマの秩序と自分の立場でした。正義よりも秩序が、一人のいのちよりも人々の都合が優先されたのです。
3.私もそこにいた
この出来事を、ただ二千年前のエルサレムで起こったこととして読むことはできません。自分の願いを叫ぶ群衆の中に、責任を負おうとしないピラトの中に、自分の正しさを守ろうとする祭司長たちの中に、私たちの姿があります。また、正しいと思いながらも声を上げられず、その声をかき消された人々の姿もあります。イエスは、人間の罪と、その罪によって生み出された苦しみと悲惨を背負うために、自ら十字架へと向かわれました。私もそこにいた。そして、キリストも、私の罪を背負うために、そこにいてくださったのです。



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