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2026年7月21日礼拝説教

  • 7 分前
  • 読了時間: 2分

2026年7月26日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書 27章1節~10節「主の前に告白する」

 

1.罪を認めたユダ

ユダは、イエスが死刑に定められたことを知って深く後悔し、銀貨三十枚を返そうとしました。そして、「私は無実の人の血を売って罪を犯しました」と告白します。ユダは、自分が何をしてしまったのかを、はっきりと理解していました。しかし祭司長たちは、「われわれの知ったことか。自分で始末することだ」と、ユダを突き放しました。ユダは、自分の罪を自分で始末しなければならないと思い込み、絶望の中へと向かっていきました。

 

2.罪に向き合わなかった祭司たち

本来、神殿は罪を犯した者が神の赦しを求める場所であり、祭司はその人を神のもとへ導く者でした。しかし祭司長たちは、罪を告白するユダに赦しの道を示そうとはしませんでした。その一方で、銀貨が「血の代価」であることにはこだわりながら、自分たちがその銀貨を用いてイエスを引き渡させた罪には向き合おうとしませんでした。ユダの悲劇を通して、本来の役割を失っていた神殿と祭司たちの姿が明らかにされたのです。

 

3.罪を赦してくださる主

ユダは、弟子たちのもとにも、イエスのもとにも、もう戻ることはできないと思ったのでしょう。しかしイエスは、迷い出た一匹を捜し、裏切るユダをなお「友よ」と呼ばれる方です。自分で罪の始末をしようとする悲しみは、人を絶望の中へ閉じ込めます。しかし、その罪を神のもとへ持って行く悲しみは、赦しといのちへ向かう悔い改めを生み出します。私たちを「友よ」と呼んでくださる主の前に、罪と弱さを告白しましょう。主は「立ち返って、生きよ」と語ってくださいます。

 
 
 

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