2026年6月28日礼拝説教
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2026年6月28日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書 26章36節~46節「イエスとともに」
1. 悲しむ主とともに
イエスは弟子たちとともにゲツセマネへ行かれました。そこは「油搾り場」を意味すると言われる場所です。そこでイエスは、十字架を前にして「悲しみのあまり死ぬほどです」と語られました。イエスは、平然と十字架へ向かわれたのではありません。深い悲しみともだえの中で、十字架への道を歩まれました。だからこそ、主イエスは私たちの弱さに同情してくださる方です。私たちが苦しみや悲しみに心揺さぶられる時も、主はその痛みを知り、私たちの近くにいてくださいます。
2. 祈る主とともに
イエスは少し進んで行き、ひれ伏して祈られました。「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。この杯とは、十字架の苦しみと死を指しています。イエスはその苦しみを隠さず、父なる神の前に差し出されました。しかし同時に、「わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに」と祈られました。弟子たちは眠ってしまいましたが、イエスは彼らに「目を覚まして祈っていなさい」と言われます。自分の思いや決意だけでは、試みに立ち向かうことはできません。だからこそ、私たちも主とともに目を覚まして祈るよう招かれています。
3. 進み行く主とともに
イエスは二度、三度と祈られました。ご自分にしか飲むことのできない杯を前にして、苦しみながらも父のみこころにご自身を委ねていかれました。そして最後に、「立ちなさい。さあ、行こう」と言われます。イエスは、人々に捕らえられる受け身の姿でありながら、実際には父のみこころに従い、自ら十字架への道へ進んで行かれました。神に委ねるとは、何も願わず、何もせずに流されることではありません。苦しみを神の前に差し出しながら、みこころがなることを信じて一歩を踏み出すことです。ゲツセマネで祈られた主は、今も私たちとともにいてくださいます。私たちも主イエスとともに、神のみこころがなることを信じて歩み出しましょう。



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