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2022年12月18日礼拝説教

2022年12月18日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書11章28節~30節 「私たちを招かれる方」


1. 神のことば

イエス・キリストは神のことばであると聖書には記されています。「神のことば」は、神の知恵や意志、神のこころのあらわれであり、神が語られたことには嘘はなく、必ずその通りになるものです。私たちの存在は、神のことばによって形造られ、存在しています。けれども、私たちは神から離れてしまい、罪ある世界に生きるようになってしまいました。しかし、そこにさらに神の救いのことばは語られています。そして実現しました。それがイエス・キリストです。この方を通して私たちは、神から離れてしまった人の存在と世界を取り戻すことができるのです。


2. イエスの招き

イエスは私たちに新たな心を持つように招かれています。イエスは神の国の先駆けとして、人々に神の救いと希望が到来したことを宣言しました。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」悔い改めるというのは、神へと向きを変えることです。これまでの生き方、在り方をやめて、神とともに生きる新たないのちの歩みへと、イエスは私たちを招いています。「疲れた人」とは誰のことでしょうか?それは神から離れてさまようすべての人のことなのです。


3. イエスのもとへと行く

ここには三つの招きがあります。「わたしのもとに来なさい。」「わたしのくびきを負いなさい。」「わたしから学びなさい。」私たちは、この教会でささげる礼拝を通して主のもとに行き、主と出会います。またイエスが与えてくださるくびきを負うこと、それは私たちの生きる目的となり、意味となります。そして、それはイエスご自身に学ぶことから得られるものです。私たちが、神の愛の対象であることを知り、愛されている子として生きることをイエスに学んでいく…これは私たちの存在を変える力を持っています。イエスは私たちのところにまで来てくださり、ともにあなたの重荷を担おうと呼びかけておられます。この呼びかけに、まっすぐに応答してまいりましょう。

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