2026年5月31日礼拝説教
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2026年5月31日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書 25章31節~46節「最も小さい者たちの一人に」
1. 王の帰りを待つ者の歩み
主イエスが十字架に向かわれる前に語られたメッセージはクライマックスを迎えます。王なる人の子が栄光を帯びて来られる時、羊とやぎが分けられるように人々が分けられます。確かに、この箇所は「さばき」を語っています。しかし、それはただ天国と地獄を単純に分ける話ではありません。この言葉は、神殿が崩れ去るという予告を聞いた弟子たちに語られました。神の国を待ち望む者たちはどのように歩むのか。そのことを、主は弟子たちに教えておられるのです。
2. 最も小さい者への眼差し
王が見ておられるのは、律法をどれだけ守ったか、敵に勝利したか、帝国の支配を覆したかではありませんでした。王は、「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」と語られます。ここで言われる「最も小さい者たち」とは、イエスに従う小さな者たち、また神の民の中で見過ごされていた人々を指しているでしょう。そして、キリストに結ばれた教会は、この主のまなざしを受け継ぐ者たちです。イエスが出会われた病人、罪人、異邦人、子どもたちへの眼差しは、私たちが出会う隣人たちへの関わりにも広がっていきます。
3. 教会の基準点
この箇所で注目したいのは、「あなた」ではなく「あなたがた」と語られていることです。このみことばは、一人ひとりの生き方を問い直します。しかし、それだけではなく、キリストに結ばれた教会に、神の国を待ち望む共同体の基準点はどこにあるのかを問うています。空腹な人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、旅人を迎え、裸の人に服を着せ、病気の人を見舞い、牢にいる人を訪ねる。神の国を待ち望む教会の基準点は、最も小さい者への眼差しにあります。私たちも、子どもたち、病める方、弱さを覚える方、苦境にある方々を覚え、祈り、声を掛け合い、できるところから仕えていきたいのです。その眼差しこそ、キリストご自身の眼差しなのです。



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