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2026年5月3日礼拝説教

  • 5月17日
  • 読了時間: 2分

2026年5月3日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書 24章31節~44節「いちじくの木のように」

 

1. 弟子たちの切迫感

弟子たちは、今すぐイエスにメシアとして立ち上がっていただき、ローマ帝国の支配を終わらせて欲しいと願う、強い切迫感を抱いていました。それは、私たちが「今すぐこの状況を変えてください」「今すぐ祈りを聞いてください」と願う姿にも重なります。しかしイエスは、その切迫感をあおるのではなく、終末とは自分たちの願いがかなう時ではなく、神が選んだ者たちを集め、礼拝する民として完成させる時であることを示されます。いちじくの木を見れば夏の近さが分かるように、苦難の中でも人の子の近さを知ることはできる。しかし、その日その時は父なる神だけが知っておられるのです。

 

2. 神の国の到来

イエスは、「一人は取られ、一人は残される」ということばを通して、終わりの日には神の前で分けが起こることを語られました。それは、聖書が語る主の裁きの厳しい現実です。しかし同時に、それは神の国の完成でもあります。罪と悪が裁かれ、神の完全な統治が実現する。その国は、キリストが示された幸いが実現する国です。その国こそ、私たちが苦難の中でもなお待ち望み、目指して歩むべき約束の地なのです。終わりの日は、私たちの思い通りの勝利の日ではなく、神のみこころが完全に実現する日なのです。

 

3. 実をならせる者へ

私たちは最初、自分の周辺の事柄や問題が解決すること、不安が取り除かれることを願います。それは自然なことです。しかし、みことばによって目が開かれるとき、祈りもまた変えられていきます。自分の幸せだけを願うところから、とりなしの祈りへ。苦難の先に神の国が来るように、神のみこころがなるようにと願う祈りへ。いちじくの木が夏に向かって枝を柔らかくし、葉を茂らせていくように、私たちもまた神の国に向かって、実をならせる者へと変えられていきます。公正を行い、誠実を愛し、へりくだって神とともに歩むこと。これこそ、神の国を待ち望みながら、目を覚まして生きる姿なのです。

 
 
 

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