2026年5月17日礼拝説教
- 5月17日
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2026年5月17日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書 25章1節~13節「賢い娘たち」
1. 花婿を迎える備え
「賢く生きたい」と願わない人は少ないでしょう。しかし、聖書が語る賢さは、単に頭がよいとか、要領がよいということではありません。イエスは、花婿を迎えに出る十人の娘のたとえを語られました。五人は愚かで、五人は賢かった。両方とも、ともしびを持ち、花婿を待っていました。しかし、花婿が遅れたとき、予備の油を持っていたかどうかの違いが明らかになります。主は必ず来られる。しかし、その時は分かりません。だからこそ、主を待つ者として、備えて生きることが問われているのです。
2. 主を待つ賢さ
現代の私たちは、賢さを効率の良さや要領の良さとして考えやすいかもしれません。しかし、イエスが語っておられる賢さは、それとは違います。このたとえで問われているのは、油が何を意味するかではなく、花婿の到来に備えていたかどうかです。愚かな娘たちも、ともしびは持っていました。外側には、待っている姿がありました。しかし、主が自分たちの思う時に来られなくても、なお待ち続ける備えがあるか。そこに、主を待つ者としての賢さが表れます。
3. 主の前に賢く歩む
聖書が語る賢さとは、主を恐れ、自分の悟りに頼り切らず、主に信頼することです。箴言は、「主を恐れることは知識の初め」と語り、「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな」と教えます。自分の見通しや正しさだけに頼るのではなく、行く道すべてにおいて主を認めること。そこに、聖書の語る賢さがあります。油は最後の時に人から借りることはできません。しかし、私たちは一人で花婿を待っているのではありません。教会は、互いに励まし合い、支え合いながら、主を待つ備えを失わずに歩む共同体です。主に知られ、主に迎えられ、婚礼の祝宴の喜びにともにあずかる者として、主の前に賢く歩んでまいりましょう。



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