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2026年6月7日礼拝説教

  • 6 日前
  • 読了時間: 2分

2026年6月7日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書 26章1節~13節「イエスの前にささげるもの」


1. 十字架へ向かう主

主イエスは、これまでのことばをすべて語り終えると、弟子たちに「二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます」と告げられました。過越の祭りは、イスラエルの民がエジプトから救い出された出来事を記念する祭りです。救いと解放を思い起こし、神が再び救いを行ってくださることへの期待を呼び起こす時でもありました。その過越の時に、イエスは十字架へ向かわれます。人々の思惑を超えて、神の救いの御業は進んでいきます。イエスは、私たちの背きと咎を負い、ほふられる小羊として、十字架へと向かわれるのです。

 

2. 香油を受け止める主

緊迫感が高まる中で、一人の女性がイエスのもとに来ます。彼女は非常に高価な香油を持って来て、食卓に着いておられたイエスの頭に注ぎました。弟子たちはそれを見て、「何のために、こんな無駄なことをするのか」と憤慨します。確かに、その香油を売れば、貧しい人たちに施すこともできたでしょう。しかし、イエスはその女性を責めるのではなく、「わたしに良いことをしてくれました」と言われました。弟子たちには無駄に見えた行為を、イエスはご自分の埋葬の備えとして受け止められたのです。

 

3. 自分を差し出す信仰

この女性が、自分の行為の意味をどこまで理解していたのかは分かりません。しかし、少なくとも彼女は、イエスに何かをすべきだと思い、その思いを実際に行動に移しました。自分にとって大切なものを、惜しみなくイエスの前に差し出したのです。私たちの救いは、献金や善い行いによって得られるものではありません。救いは、ただ主イエスの贖いによって与えられる恵みです。だからこそ私たちは、その恵みに応えて、自分自身を主の前に差し出していきます。人には無駄に見える献身であっても、主はそれを「良いこと」として受け止め、私たちの思いを超えた仕方で用いてくださるのです。

 
 
 

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