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2022年7月24日礼拝説教

2022年7月24日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

創世記22章12節~19節 「ひとり子をささげた方」


1. 神の御前を歩む

なぜ神が全焼のささげ物として息子イサクをささげよと命じているのでしょうか。それは神の前の罪ゆえであることを彼は理解します。罪の問題が彼の前には立ちふさがっていたのです。最後の壁が彼の前の前に立ちはだかります。それが「罪」という問題であり、それは「死」という最大の難問でもありました。しかし、神はその手がイサクに振り下ろされる直前に、アブラハムの手を止められました。


2. 神の宣言

このシーンでアブラハムが受け取った神からのメッセージは何でしょうか。それは第一に神の「赦し」のことばでした。「あなたがどう思うかではない。わたしは確かにあなたを赦し、大いに祝福する」との宣言を彼は聞くことになります。さらに神はアブラハムに約束されました。あなたの子孫は「敵の門を勝ち取り、すべての国々は祝福を受けるようになる」と。敵とは誰でしょうか。この敵とは「罪」そして「死」のことです。祝福とは「神の民となり、神の国に住むこと」に他なりません。これはただアブラハムが神の声に聞き従ったから与えられたことです。神の声に聞き従ったときに待っているのは、神のさらなる祝福なのです。


3. 最終的な責任は誰が?

しかし、それでもなお根本的な問題は残されています。アブラハムの罪の代価はまだ支払われていません。それでは誰が最終的な責任を取ったのでしょうか。それを支払ったのは神ご自身です。そしてその代価こそイエス・キリストなのです。アブラハムが罪の代価としてひとり子イサクをささげようとしたとき、神は語られました。「もうあなたがささげなくてよい」と。本来は責任を取る必要のない神が、そのひとり子であるイエスをささげてくださったのです。私たちは苦難を通るたびに、また自分の弱さや罪に気がつかされるたびに、この神の姿を思い起こしたいと思います。そしてアブラハムが得た祝福を、私たちも受け取らせていただきましょう。

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