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2022年5月29日礼拝説教

2022年5月29日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ヤコブの手紙5章16節~20節 「最後に問われたこと」


1. 祈りの実例

正しい人の祈りの実例として、ヤコブは旧約聖書の預言者エリヤを取り上げます。該当する旧約聖書は第一列王記17、18章です。しかし、ここにはエリヤが、雨を降らないように熱心に祈ったということは記されていません。しかしヤコブはこの箇所の背後にエリヤの祈りを見ています。ヤコブはエリヤの預言者として超越的な力を振るう姿よりも、むしろ私たちと同じ人として忍耐深く祈る末に神から応えを得た姿を伝えたかったのでしょう。エリヤの祈りの根本にはイスラエルの民の悔い改めへの願いがありました。この祈りは数年に渡る祈りであり、忍耐を要するものでした。そのことを私たちも覚える必要があります。


2. 迷い出た人

最後にヤコブが語るのは真理から迷い出た人のことでした。真理から迷い出た人とは、福音から逸れた考えに向かっていった人々のことでしょう。今私たちがこの言葉を読むと、教会から離れてしまった人のことを思い浮かべます。その背景は様々です。信仰は自発的な信仰告白に基づいていますので、言葉の責任はその人自身が負わなくてはなりません。しかし、私たちは一人では信仰を保つことはできません。教会の交わりの中で、信仰は育まれ、成長し、成熟へと至るのです。ヤコブはそこから迷い出た人を連れ戻す人の存在をこの手紙の最後に記します。このような人が教会には必要です。この手紙で語られたように言動の一致を信仰は求めます。しかしそのハードルはとても高いのです。私たちはいつも失敗や挫折を覚えます。そのような時にこそ、私たちは信仰の友が必要なのです。


3. 牧者である方

確かにみことばによれば、主は私たちを堅く保ってくださいます(ヨハネ10:28、29)。しかし、私たちの方から主の御手を遠ざけてしまうことがあります。その時に私たちは、主イエスが迷える一匹の羊を探されたその姿を思い出します。主イエスと同じことが私たちにも果たしてできるでしょうか。これは教会にとって大きなチャレンジです。私たちは牧者である主の姿を仰ぎ見、従ってまいりましょう。

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