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2026年4月12日礼拝説教

  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

2026年4月12日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書 24章1節~14節「耐え忍び、待ち望む」

 

1. 終わりではなく、産みの苦しみの始まり

弟子たちにとって神殿は、信仰の支柱でした。しかしイエスは、その神殿が完全に崩れると語られます。弟子たちは大きく揺さぶられ、「いつ、そのようなことが起こるのですか」と問いました。それに対してイエスは、戦争や対立、飢饉や地震、偽りの救いを語る者たちの出現を挙げながら、「これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです」と言われました。聖書は、神の国の到来の前段階を、「産みの苦しみ」として語ります。被造物も私たちも、ともにうめきながら、神の完成を待ち望んでいるのです。

 

2. 惑わされず、うろたえず

イエスは、こうした厳しい現実の中で、まず「人に惑わされないように気をつけなさい」「うろたえないようにしなさい」と語られました。私たちは、苦しみや不安の中で揺さぶられ、いつの間にか本質から逸れ、神から離れてしまうことがあります。また、キリストに従う歩みそのものが、反発や摩擦を生み、愛が冷えていく現実もあります。しかし、ここで語られていることは、あの時代だけのことではありません。私たちもまた、このみことばを、自分の時代、自分の状況に響く主のことばとして聞かなければならないのです。

 

3. 耐え忍ぶとは、キリストにとどまること

「最後まで耐え忍ぶ人は救われます」と聞くと、ただ苦しみに耐えることのように思えるかもしれません。しかしイエスが語られる耐え忍びとは、ただ我慢することではなく、キリストにとどまることです。キリストのことばにとどまり、その約束にとどまり、その贖いの恵みと愛にとどまること。そして目を覚まして、主を待ち望むことです。それは何もしないことではありません。御国の福音が宣べ伝えられるように、神に望みを置きながら、与えられた務めに誠実に向かうことです。神が意味と結末を与えてくださると信じて、私たちも今日、そして今週も、キリストにとどまりつつ、神の国の到来を待ち望んで歩んでまいりましょう。

 
 
 

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