2025年11月30日礼拝説教
- mbchurch
- 1 日前
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2025年11月30日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書20章1節~16節「ぶどう園の主人のお考え」
1. 神と人との価値基準の違い
イエスが語られたこのたとえ話には、神の国の価値観と私たち人間の考え方の違いが鮮明に表れています。私たちは、早く来た者が多く受け取り、長く働いた者が評価されるべきだと考えます。しかし主人は、最後に来た者にも最初に来た者と同じ一デナリを与えました。そこにあるのは、主人が「そうしたい」と望まれた心です。主人の言葉、「私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」ここには、神の国が誰がどれだけ働いたかではなく、神の側の招きとまなざしによって動いていることが示されています。神は神であり、私たちは神ではない――そのことを、この物語は私たちに教えています。
2. 最後に招かれた人々
たとえの中で目を向けたいのは、「五時ごろ」雇われた人々です。彼らは怠けていたのではなく、「だれも雇ってくれないから」と言いました。人から価値を認められず、声をかけてもらえなかった人々。それでも主人は彼らを見つけ、招き入れ、「あなたがたもぶどう園に行きなさい」と言われました。ここに、神の招きは特定の人に限定されず、後から来る者にも同じように向けられることが示されています。弟子たちを含む多くの人は、自分こそ「最初の者」であると思っていたでしょう。しかし主イエスは、後から招かれる者にも、主人が持っているものを分け与えたいという神の心を明らかにされました。
3. 先と後が入れ替わる神の国に生きる
「後の者が先になり、先の者が後になります」は、私たちの歩みに向けられた問いかけです。私たちはすぐに、人との比較や、順番、評価に心を奪われます。しかし主人は語られました。「自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。」神の思いは、私たちの基準とは異なり、はるかに広く、自由であり、寛大さに満ちています。神の国では、先か後かではなく、招かれた者すべてが主人から確かな賃金を受け取るのです。だからこそ、私たちは自分の尺度ではなく、神のまなざしに立って歩むよう招かれています。「先の者が後になり、後の者が先になる。」この言葉を心に留め、寛大な主人のもとで、感謝をもって歩む者とならせていただきましょう。





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