2025年12月21日礼拝説教
- mbchurch
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2025年12月21日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
ヨハネの福音書1章14節~18節「私たちの間に住まわれた方」
1. ことばは肉となった
ヨハネの福音書は、クリスマスの出来事を「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた」という大胆な言葉で語ります。「ことば」とは、神の意志そのものであり、世界のはじめから神とともにあった存在、すなわちイエス・キリストを指しています。その方が「肉」となられたとは、私たちと同じ弱さと限界をもつ人間の現実を引き受けられたということです。神が一時的に人の姿を装ったのではなく、病や痛み、孤独や死を経験する私たちと同じ現実の中に生きてくださった。それが、クリスマスに起きた決定的な出来事でした。
2. 誕生にあらわれた神の栄光
ルカの福音書が伝えるイエスの誕生は、決して華やかなものではありませんでした。結婚前のマリアの妊娠、宿のない現実、飼い葉おけに寝かされる幼子。誰からも歓迎されない、みすぼらしく、悲惨とも言える始まりでした。しかしヨハネは、その姿に「父のみもとから来られたひとり子としての栄光を見た」と語ります。私たちの考える栄光とは正反対の場所に、神の栄光があらわされたのです。それは、人を上から見下ろす栄光ではなく、最も低いところに降りてくる栄光でした。
3. 共に歩まれる神の救い
イエスが人となられたのは、私たちをもう一度神へと立ち返らせるためでした。神の救いは、私たちが努力して神に近づくことではありません。私たちが神を求める前に、神のほうから私たちのところへ来てくださいました。イエスは「インマヌエル」、すなわち「神は私たちとともにおられる」方です。この方は、恵みとまことに満ち、無償で私たちを受け入れ、下から救い上げ、ともに歩んでくださいます。クリスマスは、神が遠い存在ではなく、私たちのすぐそばに来てくださったことを覚える時です。この方を信じ、ともに歩む道へと、私たちは今日も招かれています。





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