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2025年12月14日礼拝説教

  • mbchurch
  • 18 分前
  • 読了時間: 2分

2025年12月14日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書20章29節~34節「目を開かれる主」

 

1. 二人の盲人

エリコを出て行かれるイエスの前に、道端に座っていた二人の盲人がいました。彼らはイエスが通られると聞くと、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫び続けます。群衆は彼らを黙らせようとしますが、彼らはますます大きな声で叫びました。彼らが「ダビデの子」という言葉をどこまで理解していたかは断定できません。しかし確かなのは、彼らがこの方に望みを置き、憐れみにすがって必死に叫んだということです。声を上げること、それが彼らに残された唯一の手段でした。

 

2. イエスの問い

イエスは立ち止まり、彼らを呼び寄せて、「わたしに何をしてほしいのですか」と問われました。この問いは、単なる施しを求めるかどうかを確かめるものではありません。彼らの心を主ご自身へと向け、その真の願いを言葉にさせる問いでした。ヤコブとヨハネが「右と左の座」を願ったのとは対照的に、二人の盲人は「主よ、目を開けていただきたい」と答えます。それは、自分たちの境遇を超えて偉くなりたいという願いではなく、生きるために必要な、切実で正直な願いでした。

 

3. 開かれる目

イエスは深くあわれみ、彼らの目に触れられ、二人はすぐに見えるようになり、イエスに従って行きました。盲人の目が開かれることは、旧約に約束されたメシアの業であり、イエスが救い主であることを示しています。同時に、この出来事は私たち自身への問いでもあります。私たちは今、何をイエスに願っているのでしょうか。自分本位な願いにとどまってはいないでしょうか。主は今日も、「あなたはわたしに何をしてほしいのか」と問いかけておられます。その問いの前で心の目が開かれるとき、私たちもまた、主に従う者として新しい歩みへと招かれるのです。

 
 
 

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