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2023年5月14日礼拝説教

2023年5月14日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙9章1節~12節 「すでに実現したこと」


1. 幕屋

イスラエルにとって幕屋はとても大切な意味を持っていました。出エジプトの時には、民全体の真ん中に設置されました。そのことによって、自分たちの中心に神がおられること、また神の導きが絶えずあることを民の全てが知ることになりました。そこでは毎日自分たちのための犠牲がささげられ、神に赦されていることを教えられます。「礼拝」はイスラエルが最も大切にしていたことです。彼らが偶像ではなく、目には見えない、しかし、今も生きておられる神を信じ従う民であることを表すものでもありました。


2. 第一の段階

祭司たちは毎日第一の幕屋に入り、礼拝をささげます。しかし、第二の幕屋である至聖所には、年に一度、大祭司だけが入り、宥めの供えをささげるのです。これが初めの契約から続けられてきた贖いの在り方でした。著者は、ここでこの幕屋は今の時を示す比喩だと言うのです。今の時は「第一の幕屋」、つまり、それは初めの段階に過ぎません。そこでのささげ物は、私たちの良心を完全にすることができるものではありません。それは「からだに関する規定にすぎない」と記されています。これが第一の段階です。けれども、今、第二の段階に入ったとこの手紙は告げます。


3. 第二の段階

キリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られました。それは何でしょうか。キリストの十字架によって、神殿の幕は引き裂かれました。毎日、いけにえを携えて祭司は民のとりなしをする必要はなくなったのです。神はもはや私たちの罪を思い出さず、私たちは神の子とされています。呪いは解かれ、自由とされ、神の国に向かって生きる旅路が開かれています。このことが、すべてすでに実現したすばらしい事柄です。しかし、またすべては完成に至っていません。それゆえに、今もイエスが大祭司としての務めに就いておられるのです。イエスは、聖なる罪なきご自身の血によって、永遠の贖いを成し遂げられました。それゆえに私たちは完全に赦されています。私たちは不完全であり、罪人にしか過ぎません。しかし、そのような私たちを愛し、受け入れてくださる神は、その罪をイエスの身代わりのゆえに赦されました。自分や他の人があなたを肯定しなくても、神はキリストのゆえにあなたを肯定しておられます。それが、あの十字架の示すものなのです。

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