2025年11月9日礼拝説教
- mbchurch
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2025年11月9日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書19章16節~26節「人にはできないこと」
1. 永遠のいのちを求める青年
ある青年がイエスに、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」と尋ねました。彼は律法を守り、立派な人でしたが、どこかに満たされない思いを抱いていました。「永遠のいのち」とは、死後の世界ではなく、神の支配が完全に実現する「神の国」でのいのちです。イエスは言われます。「なぜ良いことについて尋ねるのか。良い方はおひとりです。」彼は自分の良い行いによって救いを得ようとしており、イエスはその心の奥にある思いを見抜かれました。
2. 「手放す」という招き
青年が「何がまだ欠けているのでしょうか」と問うと、イエスは「あなたの財産を売り払い、貧しい人に与えなさい。そのうえで、わたしに従いなさい」と言われました。財産とは彼の存在の基盤であり、彼自身の支えでした。イエスはそれを手放すよう求められたのです。しかし彼は悲しみながら去りました。多くの財産を持っていたからです。私たちもまた、自分を支えているものを手放すことができずにいます。けれども主は、「それを手放し、わたしに従いなさい」と招かれます。そこにこそ、真の自由といのちがあるのです。
3. しかし神にはできる
イエスは弟子たちに言われました。「金持ちが天の御国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい。」弟子たちは驚き、「それでは誰が救われるのですか」と尋ねました。イエスは答えられます。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」救いは人の努力ではなく、神の恵みによって与えられるものです。主イエスはご自身のいのちをささげ、徹底して神に従われました。その従順によって、私たちに新しいいのちが与えられました。青年は悲しみながら去りました。彼は立ち去らずに、ただ「主よ、私にはできません」と告白すればよかったのです。主のまなざしは愛に満ちています。そこに神の国のいのちはあるのです。





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