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2023年5月7日礼拝説教

2023年5月7日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙8章10節~13節 「主と同じ思いで」



1. 新しい契約

私たちは新しい契約のもとに置かれていると聖書は教えています。その契約はまずイスラエルと神との間で交わされたものです。この契約は、石に刻まれるものではなく、心に書き記されるものです。さらに「もはや、それぞれ仲間に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない」と言われています。これまでイスラエルは民の中で律法を教え続けてきました。さらに「主を知る」というのは、ただ律法を知っているだけにとどまりません。彼らは神の聖さ、正しさ、また恵みを知っていくことにもなります。それゆえに、彼らは小さな存在であっても生き残ってこれたのでしょう。しかし、これからは、そのようにする必要はなくなると言われています。なぜなら主を知ったからです。


2. 小さい者から大きい者まで

彼らがみな、小さい者から大きい者まで主を知るようになるとあります。どのような身分であっても、またいかなる年代の者であっても、神を知ることになるのです。当時は、「小さい者は後にまわされる」そのような考え方がありました。またこの考え方は、私たちの社会にもあるものです。しかし、イエス・キリストにおいてはそうではありません。主イエスは「後の者が先になり、先の者が後になります」と教えられました。先の者が優先であるとか、早い者勝ちであるとか、そのようなことを神は考えておられないということが分かります。神は「最後の人にも、同じだけ与えたい」のです。


3. 主と同じ思いで

私たちは「ともに」ではなく、「だけ」「のみ」になりやすい者たちです。イスラエルもそうでした。神は自分たちだけではなく、後から来た異邦人たちをも救おうとされるのか、自分たちと同じ報酬を彼らに与えるのか、そう思ったのです。けれども、神は「もはや彼らの罪を思い起こさない」と言われるほどに寛容なお方です。それゆえに、主イエスを十字架に架け、私たちの身代わりとされました。ここに主のあわれみと気前の良さ、寛大さがあるのです。そして、今度は私たちが寛容なものとなるように、そうも神は願われています。主が語ってくださった「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20:35)とのみことばを私たちも忘れずに歩んでまいりましょう。

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