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2023年6月18日礼拝説教

2023年6月18日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙10章11節~18節 「救いは完成している」


1. ここまでのまとめ

この手紙は全力でイエス・キリストをあらわそうとしています。イエスが神の子であるということ。主イエスは人として私たちの苦しみを負い、そして神の栄冠を得られたこと。イエスは偉大な大祭司となられたこと。私たちは荒野を旅する神の民であり、完全な安息へと向かっているということ。大祭司なるイエスは、この旅路の間私たちのために執り成し続けてくださっていること。イエスはメルキゼデクにならう偉大な大祭司であること。それゆえに、古い契約は破棄され、私たちは新たな契約のもとに置かれていること。キリストは新たな契約の仲介者であり、この契約を確かなものとされたこと。このような豊かな内容がこの手紙に記されています。これらのことは繰り返し私たちが思い返すべき内容です。


2. 御座に座られたイエス

イエスは罪のための、贖いのいけにえをささげられました。これまでの祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、いけにえを繰り返しささげてきました。その務めをイエスは終わらせました。そして今イエスは神の右の座に着かれています。立ち上がり、いけにえをささげる必要はもうありません。神が目指されたのは、支配する、されるということを超えて、全世界の人々が一つとされていくことです。それは、私たちの真の敵である罪から解放され、あらゆる偶像の神から自由となり、新しい生き方、在り方へと導かれていくことです。そのために、キリストは来られました。十字架のイエスによって、この救いは永遠に完成されました。罪のためのささげものをすることは必要ないのです。


3. 心を新たにする

罪は完全に赦されています。罪のなだめのためのささげものは必要ありません。パウロがローマ12章で記しているように、今度は私たちのからだを神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物としてささげていくのです。神を知らず、罪の赦しを知らない者たちのように、偶像礼拝にいそしむのではありません。十字架の主の愛への応答として、隣人を愛し、神に感謝し、喜び、そして神を賛美する、そのような自由とされた人として生きるのです。十字架の主によって、私たちの世界観は変えられていきます。そうすれば、神のみこころは何か、何が良いことで神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになる、と言われています。あの十字架によって私の救いは完成している、ここに私たちはしっかりと立ってまいりましょう。

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