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2023年8月13日礼拝説教

2023年8月13日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙11章20節~31節 「信仰によって」


1. アブラハムの後

出エジプト記の内容が記されます。信仰によって、モーセは生まれてから三か月の間両親によって隠されました。この出来事にも「信仰」をこの手紙の著者は見ています。まことの神を恐れる信仰があり、また神の御手もそこにあったのです。さらにこの信仰によって、モーセはエジプトの王の娘の子と呼ばれることを拒み、神の召しに応え、イスラエルの民を率いることを選び取りました。真の神への信仰ではないところからの、つまり偶像礼拝からの脱出です。それは目に見える宝、それ以上の大きな富へと通じるのだとモーセは信じたのです。モーセは目に見えない、しかし、今生きておられる神を信じました。この方は必ず信仰者を通して、この世界に救いを、祝福を与えてくださる、その約束を与えたアブラハムの神です。この方を神であるとしたゆえに、エジプトの王さえも彼は恐れませんでした。この信仰の歩みとは、目に見えない方を目の前に見ているようにして生きることなのです。


2. 信仰によって

さらに「過ぎ越し」を経て、紅海を彼らは渡りました。そして約束の地へと入る時の出来事が語られます。荒野を40年旅した後、約束の地エリコに入り、この地を攻め取る場面です。そこで偵察に来た人たちをかくまった、ラハブという女性の名前も記されています。ここに記される出来事は、この手紙の読者もよく知っていたことでしょう。そして、この出来事のすべてが、「信仰によって」導かれたことだと、この手紙は語ります。


3. この信仰

この手紙における「信仰」とは、「イエス・キリストの信仰」です。それは言いかえると、イエス・キリストへと至る信仰とも言えるでしょう。それは、神が約束を果たされ、神が私たちとともに歩まれるという信仰です。またこの信仰は、キリストに表された神の忠実、誠実と言えるものです。それはちょうどコインの裏と表という関係と言えるでしょう。「この信仰」は、神から来る救いを待ち望む信仰であり、神が必ず約束を果たされるという信仰です。何よりも神とともに歩む信仰であり、この信仰によって信仰者たちは、導かれ、支えられ、勇気が与えられ前に向かって歩んだのです。私たちも神とともに歩む者たちです。それは特別な場面に限ることではありません。日々、神とともに歩む、その先に表された信仰の証なのです。

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