top of page

2024年2月4日礼拝説教

2024年2月4日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書4章8節~17節 「主に仕えるということ」

 

1. 三つ目の誘惑

「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」ストレートな誘惑です。悪魔だとわかるならば私たちは気を付けやすいでしょう。しかし、私たちを取り囲んでいるのは分かりやすいものではありません。「それは、あなたが神よりも重要だと見なすもの、あなたの心と思いのすべてを吸収するもの、そして、あなたが神からしか得られないものをそこから得ようとする、すべてのものを指します。(ティム・ケラー)」それはお金や社会的地位、人々の称賛…さらには「良いもの」とされている、そのようなことも偶像となる可能性があるのです。イエス・キリストにとってはどうであったのでしょうか。

 

2. みことばによって

この誘惑のように、この世界は私たちに迫ってきます。私たちは目に見えるものや力と無関係には暮らすことはできません。しかし、イエスは最大の誘惑に勝たれました。それは、私たちの誰もが患っている偶像崇拝の罪です。その誘惑をイエスは打ち破られたのです。ここでもその誘惑に、みことばをもって対峙されました。「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい」というみことば(申命記6:13、14)をもって応えられました。見えるものだけではなく、見えないものも、すべてを創造された主なる神以外に崇めるべき方はいません。私たちはイエスに、偶像礼拝の罪と向き合う人の姿を見るのです。

 

3. 礼拝者として生きる

私たちの礼拝は、罪との戦いの最前線にあります。すべては神のものであり、また神が許されたゆえに、私たちの必要を主は満たしてくださいます。そして、さらなる豊かさや楽しみを与えてくださいます。それを自らのものとするのではなく、「神よ、あなたのものです」そう告白し、主に仕えていく…礼拝はその表れなのです。日々の歩みにおいても、私たちは神を崇めながら礼拝者として歩むように期待されています。その歩みの上に、罪を退け、悪に打ち勝つ土台が造られていくのです。こうして、主イエスは、荒野での試みを受けられ、人として打ち勝たれました。そして、イエスは宣教を開始し、私たちのこの世界に住んでくださったのです。

RECENT POSTS:
SEARCH BY TAGS:
まだタグはありません。
bottom of page