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2025年7月27日礼拝説教

  • mbchurch
  • 7月27日
  • 読了時間: 2分

2025年7月27日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書16章16節~25節「神のことを思う」


1. ペテロの戸惑い

イエスはペテロに「この岩の上に、わたしの教会を建てる」と語られました。「あなたは生ける神の子キリストです」というペテロの告白をイエスは受け止められました。信仰の告白は重要ですが、それは始まりです。イエスはその直後、ご自分が苦しみを受け、殺され、三日目によみがえることを語り始めました。弟子たちが期待していたメシア像とは正反対の内容に、ペテロは戸惑い、イエスをたしなめます。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」

 

2. ペテロへの叱責

そんなペテロに、イエスは「下がれ、サタン」と厳しく叱責されます。ペテロはイエスのことを思っているようで、そうではなく、自分の思いを語りました。そのことばは、神のご計画を妨げるものとなってしまったのです。イエスは苦しみと十字架の道を歩まれました。弟子たちにはすぐに理解できませんでしたが、それが神の御心だったのです。イエスは「自分を捨て、自分の十字架を負って」と教えられました。その言葉の意味が「イエスに従う」ということであったのを弟子たちが知るのは、もう少し後のことになります。

 

3. 神のことを思う

イエスは「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出す」と語られました。私たちは自分を守りたくなりますが、主のために差し出すときに、真のいのちが与えられます。イエスは「神のことを思う」ゆえに十字架に従われました。ピリピ2章が語るように、自分を低くし、仕える者となられたのです。神が私たちを愛しておられることを知るとき、自分を第一とせず、神のみこころを祈り求める歩みが始まります。十字架の愛を知った者として、主に従う道をともに歩んでまいりましょう。

 
 
 

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