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2025年7月6日礼拝説教

  • mbchurch
  • 7月19日
  • 読了時間: 2分

2025年7月6日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書15章29節~39節「再びの奇跡」

 

1. 二度目のパンの奇跡にこめられた意味

前章の五千人の給食とよく似た四千人の給食の出来事が語られます。マタイはあえて二度目の奇跡を記録しました。それは、キリストが「いのちのパン」であるというイメージを、繰り返し心に刻ませるためでした。イエスはただ空腹を満たすためにではなく、神の国のしるしとして奇跡をなされました。この繰り返しには「再現性」があり、主の御業がいつも私たちにも届くという確かな真理を示しています。

 

2. 主の憐れみと弟子たちの信仰の成長

イエスは、食べる物もなく集まっている群衆を見て、「かわいそうに」と言われました。前回の給食を経験していた弟子たちは、「どこで手に入れることができるでしょうか」と言いながらも、すでにイエスへの期待を持っていました。彼らの信仰は少しずつ育っていたのです。主は弟子たちのわずかな備えを受け取り、それを祝福し、多くの人々を満たされました。主の恵みは、信仰の歩みの中で繰り返し現れ、私たちを養ってくださるのです。

 

3. 聖餐式における「再びの恵み」

この奇跡は、聖餐式を思い起こさせます。私たちは聖餐を何度も繰り返し受けますが、それは単なる儀式ではありません。主が今も「わたしのからだは、あなたのために裂かれた」「わたしの血は、あなたの罪のために流された」と語りかけ、再び恵みを注いでくださる今も有効なしるしです。繰り返し聖餐にあずかることで、私たちは慰められ、癒やされ、新たにされていきます。主が「いのちのパン」として共におられる今、この方の恵みに生きる歩みを続けていきましょう。

 
 
 

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