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2025年9月21日礼拝説教

  • mbchurch
  • 9月21日
  • 読了時間: 2分

2025年9月21日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書18章1節~7節「幼子のように」

 

1. 誰が一番偉いのか

弟子たちはイエスに尋ねました。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」そこには、弟子の中での序列意識や、人と比べて自分はどの位置にいるのかという思いがありました。また、それは物事の見方が何に価値を置いているのかを表しています。私たちもまた、社会の中で、あるいは人との関わりの中で、同じような価値基準で生きています。

 

2. 子どものように低くなる

イエスは一人の子どもを呼び寄せ、弟子たちに「向きを変えて子どものようにならなければ、決して天の御国に入れない」と言われました。ここで言われる「子どものように」とは、純粋さや素直さではなく、取るに足らない存在、誰も目を留めない立場に身を置くことです。自ら低くされる方、その筆頭が主イエスご自身でした。神の子が人となられ、罪人のために十字架につけられたのは、私たちの罪の身代わりとなるためでした。

 

3. 小さい者を受け入れる

「この小さな者を受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」とイエスは語られました。逆に、つまずかせる者は大きな裁きを受けるとも言われました。小さな者をないがしろにし、後回しにすることは、神の国から最も遠い歩みです。私たちは誰一人、強さを誇れる者ではなく、弱さを抱えた存在です。パウロが「私は罪人のかしらです」と告白したように、今なお神のあわれみを必要とする者です。だからこそ主の前にへりくだり、恵みに生かされて、隣人を愛し、互いにキリストへと向き直る教会として歩んでいきましょう。

 
 
 

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